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津地方裁判所 昭和36年(タ)1号 判決

原告(反訴被告) 村田長次

右訴訟代理人弁護士 西村美樹

被告(反訴原告) 村田かずへ

右訴訟代理人弁護士 松本健男

主文

一、原告(反訴被告、以下原告という)の請求を棄却する。

二、反訴原告(本訴被告、以下被告という)の請求により被告と原告とを離婚する。

三、原告は被告に対し金五万円及びこれに対する昭和三六年五月一九日からその支払のすむまで年五分の割合による金員を支払うべし。

四、被告のその余の請求は棄却する。

五、訴訟費用は、本訴により生じた分は原告の負担とし、反訴により生じた分はこれを三分し、その一を原告の、その余を被告の負担とする。

事実

≪省略≫

理由

一、成立に争のない甲第一、二号証≪省略≫を総合すると、次の事実が認められる。

1  原被告は、昭和二八年二月に挙式し、以来鈴鹿市三宅町一九九一番地の原告方居宅で原告の父母と共に暮し、同年九月一〇日正式に婚姻した。原告は、結婚当初からレントゲン係(当初は技師補後に技師に昇格)として亀山保健所に勤務していたが、職務柄他に出張することが屡々あつた。

2  原告が出張不在中であつた昭和三〇年七月一六日夜九時半ごろ、原告の姉みすゑの婿である訴外石田皎は偶々相当に飲酒酩酊の上原告方隣家の訴外村田行雄(原告の兄)方を訪れ、原告方井戸端で用事をしていた被告をみるや、これにたわむれて附近の牛小屋に無理矢理に連れ込み、同女の乳房にさわつたり、だきしめたり、接吻したりした。そして右牛小屋から二人が出て来るところを右村田行雄の妻しずゑが娘正子の知らせによつて目撃し、偶々原告方に来合わせていた前記原告の姉みすゑ(石田の妻)の知るところとなり、このことがその翌日前記みすゑ、しずゑらが共に他家の草取りの手伝いに行つた際に同女らの間で話題となり、翌一八日夜石田はその妻みすゑから寝物語に前記牛小屋での行動を詰問され、その夜は被告の居間に泊つて被告と関係した旨を話したので、みすゑは直ちにこのことを原告の父石田金蔵に伝えたところ、怒つた金蔵は直ちに石田を呼び寄せて同人を叱りつける一方、被告に対して石田と私通したことを理由に暇をやると申し渡し、被告は即日実家に帰された。翌二〇日ごろ被告がその母と共に原告宅に来たとき、偶々帰宅していた原告が父金蔵から被告を実家に帰したいきさつを聞き、その真否を被告に質したところ、被告は「乳をさわられた。下腹部の方もさわられた。」と答え、あとはただ泣くばかりではつきりとした返事をしないので、原告としてもそれ以上追求することもせず、一方石田に問いただすと「すまない」というような返事をするので、そこで原告は、石田と被告が情交関係を結んだものと即断し、加うるに後記4のような原告自身の事情もあつて、あえて被告を引き止めることなく、父金蔵の言うとおり被告を実家に帰すことに同意した。

このような経緯から、被告は原告宅から引払い、爾来別居するに至つた。

3  なお、石田皎は、その後原告の兄村田行雄に対しては「牛小屋で被告と接吻し、その後さそわれて被告方居間で共に寝て関係した。」と言い、一方被告の兄篠原正一に対しては「酒の上で冗談はしたけれども真実の関係はなかつた。」と言い、それぞれ両名の要求により、その旨の書面を書いて渡しており、性格的に虚言癖がうかがわれ、又酒好きで素行も悪く、妻すみゑから昭和三一年三月に離婚の調停を申立てられたこともあつた。

4  ところで、一方原告側にも、次のような事情が存した。すなわち、原告は性来酒好きであつたが、原告が前記のように亀山保健所に勤務している間に、昭和二九年九月一日訴外富野文(昭和四年一二月一六日生)が看護婦として勤務するようになつてから同女と親しく交際するようになり、同女が昭和三〇年七月一〇日から亀山市栄町の渡辺某方に下宿するようになつてからは屡々同女の右下宿先を訪ねそのまま自宅に帰らず同女の居間に共に泊るようなことが再三あつた。被告が前記のような事情で原告方を去つた後は、富野方を訪ねる回数もひんぱんとなり、昭和三一年に及んで正式に同女に結婚の申込をなし、同年五月からは原告方において公然と同棲するようになつた。

以上の事実が認められ、この認定の趣旨に反する甲第一号証中の石田皎の供述記載、証人石田皎及び原被告各本人の供述部分は、たやすく信用し難く、他にこの認定を動かすに足る証拠はない。

二、よつて以上に認定した事実を基礎として、原被告双方の請求の当否について判断する。

(原告の本訴請求について)

原告は、被告が前記昭和三〇年七月一六日夜石田皎と私通し不貞の行為をなしたと主張する。この点に関し、当夜石田が被告を牛小屋に無理矢理に連れ込んでいたずらした事実の存することは前記認定のとおりであるが、牛小屋から両名が出た後に果して石田が被告の居間に入り、被告と合意の上で関係したかどうかについては、右原告の主張にそう前記甲第一号証中の石田皎の供述記載部分、証人石田皎及び原告本人の供述部分は、前記のような石田の性格、言動に徴し、また被告本人尋問の結果と対比して、たやすく信用できないし、他にこれを認めるに足る確証は存しない。

もつとも、石田が当夜自宅に帰宅していないことは前記甲第一号証中石田みすゑの供述記載部分により明らかであり、石田が牛小屋から出てからの行動について疑念を抱く余地がないとは言えないけれども、石田の当夜の行動が不明だからといつて、直ちに被告方居間で被告と私通したと即断するわけにもいかない。

右のとおり、被告が石田と私通したという事実が認められない以上、この事実が存することを前提として被告との離婚を求める原告の本訴請求は失当であつて棄却を免れない。

(被告の反訴請求について)

(一)  原告が昭和三〇年七月一〇日ごろから(牛小屋事件より六日以前である。)屡々訴外富野文の下宿先を訪ね、同女の居間に共に泊つたことが再三であつたこと、その後被告が原告方を去るに及んで昭和三一年五月から原告方居宅で公然と同女と同棲していることは、前項4で認定したとおりであり、このような原告の行為が民法第七七〇条第一項第一号にいわゆる配偶者としての不貞行為にあたることは明白である。

前記牛小屋事件により、原告が妻である被告に対し、その貞操に疑を抱くに至つたことは先に認定したとおりであり、このような疑を抱くに至つた事情について無理からぬ点も存するけれども、右富野とは右事件以前から情交関係を結んでいたと推認できるのであり、しかも原告は右牛小屋事件を奇貨として自己と富野との関係を正当化しようと考えていることが看取される。

かような点からして、いやしくも夫として以上のような原告の行動が存する以上、それが妻たる被告に対する不貞行為にあたらないとする論拠はどこにも見出すことができない。

してみると、被告主張のその他の離婚原因の有無について判断するまでもなく、被告の反訴請求中原告との離婚を求める部分は正当であるからこれを認容すべきである。

(二)  そこで、被告の慰藉料請求について考えるに、先に認定したように、離婚原因が原告の不貞行為に存する以上、被告が離婚の止むなきに至つたことによつて精神的打撃を受けたことは推察するに難くないから、原告は被告に対し右精神的打撃を慰藉すべき義務を負うことは当然である。

進んで慰藉料の額について考えてみるに、原被告各本人尋問の結果によれば、原告は被告と結婚した当初はレントゲン技師補でその月収は手取り約六、〇〇〇円であつたが、昭和三二年からは技師に昇格し現在その手取額は約一五、七〇〇円であること、他に原告の資産は別にないが、原告方にはその父金蔵所有の田八反および畑四反があり現に父母において農業に従事していること、一方被告は高等小学校を卒業し、二二才で原告に嫁した初婚者で、結婚以来約二年間右農業に従事していたこと、現在大阪に出て大衆食堂で働き、一応生活の安定を得ていることが認められる。右認定に反する証拠はない。

そして、被告が石田と私通したと認めるに足る確証がないことは先に述べたとおりであるが、被告が前認定の如く石田からいたずらされようとしたときに断乎としてこれを拒むべきであるのにこれをなさず、更に私通したことを理由として原告の父金蔵から実家に帰るように言い渡された際においても、またその翌日原告からことの真否を問われたときにおいても、もう少しはつきりした態度で誤解をとく努力をなすべきであるのにこれをなさなかつた点において、被告にも遺憾の点がないとは言えないこと等の諸事情と、前示認定の原被告双方の生活状態並びに離婚原因事実とを勘按すると、被告の受けた精神的打撃は金五万円を以つて略慰藉し得べきものと考える。

よつて、被告の慰藉料請求中右金五万円及びこれに対する反訴状送達の翌日であること記録上明かである昭和三六年五月一九日からその支払のすむまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分は正当であるからこれを認容し、その余は失当として棄却すべきである。

三、結論

以上の次第であるから、原告の本訴請求は失当としてこれを棄却し、被告の反訴請求中離婚を求める部分並びに金五万円及びこれに対する昭和三六年五月一九日からその支払のすむまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分は正当として認容し、その余は失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条第九二条本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 新関雅夫 裁判官 松本武 高橋爽一郎)

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